ただびとのブログ

北陸に住む2児の父親が書く、日々の暮らしや子供との遊びをより楽しむヒント。きっと何かの役に立つかも。

「いじめといじりとの違いは何か」についての話

性格のせいなのか自分でもよく分からないが、昔からどうも周りからからかわれやすいよう。

 

働くようになってからは、それをうまく(?)スルーしたり、冗談にしてかわしたりしながら、人間関係を築く手段の一つにしている。

おっさんになって図々しくなったからかも知れない。

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学校にいた頃

学校にいた頃は、そこが上手に(今でも上手かは不明だが)できなかったからなのか、当時は周囲より成績が良かったからなのか、きっかけをはっきりと覚えていないのだが、ある特定の人間からいろいろと嫌がらせを受けた。

ある特定の人間と、それを笑って見ている数人といった感じ。

 

それをいじめというのかいじりというのかそこはわからないが、放っておくと次第にエスカレートしていくもので、言葉だけだったものから、物に落書きをされる、プロレスごっこのようなことをさせられる、他にも嫌なことが様々あった。

 

抵抗すると面白いのか逆にヒートアップするので、笑って友達であるような素振りをしていた。

 

こういうことって親や学校の先生に相談しろって言われるが、自分にも(変な)プライドがあってなかなか言い出せなかったし、小心者の自分は仕返しや嫌がらせの増加が怖くてできなかった。

 

当時の自分にとっては家と学校という狭い世界がすべてだったんだろう。

夜になんでこんな苦しい思いをしなけりゃならないんだろうと泣いたこともあったような。学校の成績も下がった。

 

上の学校に進み、それらの人間と離れたことで、この一連のことは終わった。

 

大分経って

何年か前に同窓会に誘われたことがあった。

行かなかった。

向こうは昔の思い出というような感じでいるつもりなのかも知れないが(実際はどうかわからないけど)、正直自分にとってはいい過去じゃない。

 

耐えることで精神的に強くなり、奮起する(見返してやる)ってのはあるのだろうが、やっぱりどこかひねくれるように思う。

 

前にいじめといじりとの違いは何かって論じているのを見たことがあったが、これは色々な考え方はあるのだろうけれど、自分にとっては不毛であるように感じた。

 

他人の嫌がることはしない。いじめとかいじりとかいう言葉の問題はともかくとして、誰でも子供の頃から教えられるであろう、他人の嫌がることはしない、ってことが大事なんだろうけど。

 

でも、自分も知らず知らずのうちに誰かを傷つけているかも知れないし……。

 

何か対象を見つけて攻撃するってのが人間の生き物としての本能なんだろうか。

とはいっても、周りに優しく思いやりを持って生きたい。

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

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